システムが多様化するいっぽうで、予備校・塾間での講師の特徴は、均質化しつつあります。つまり、予備校・塾によって、講師の「アタリ」「ハズレ」が生ずるケースがなくなっているのです。この背景の要因は、大手予備校閲で、または大手と準大手の予備校の間で、講師の交流が活発に行われるようになったからです(平和的でない「交流」のばあい、「引き抜き」であったりします)。複数の予備校・塾のパンフレットを見ると、複数校の紙面に登場している先生が、何人もいます。なかには、大手、準大手予備校で講師を務めながら、自分の塾を経営している人も増えています。予備校の経営としては、受験生か分散するという意味で、多少問題かもしれませんが、受験生にとっては、指導を受ける機会が増えるという意味で、結構なことでしょう。
実質的な経営者は別人で、塾長はただ雇われているだけ、設立してまだ二、三年しかたっていないといったケースもある。小規模の個人塾は始めるのが簡単な分、さまざまな理由で、まだ生徒がいても途中でさっさとやめてしまう経営者もいる。通塾に要する時間や通塾途中の安全を考えて、遠くの大手塾を避けて自宅近くの個人塾を選ぶというのも一つの方法だが、せっかく選んだその塾が無くなってしまえばどうしようもない。だから、看板が出ていない塾には悪質なものがあり、気をつけていただきたい。もちろん地域の集会所などを使って主婦がまじめにやっているところもあるが、夫の転勤でやめてしまったりということも多いと聞く。また学生が共同でやっているところなどは、卒業したらやめてしまうことがあるので、要注意だ。
「実力主義」「能力型社会」の言葉が好まれている社会風潮に反して、大学進学を勧めるのは時代に逆行するだろうか。「予備校経営者だから、そう言うのだろう」。そんな雑音も聞こえてきそうです。私は、そんな狭い了見で大学進学を勧めているのではありません。子供たちの十年後、二十年後を考えたとき、大学に行っておれば……の後悔をさせたくないのです。進学推奨の理由は、大学で会得する論述能力の重要性です。周囲を見渡すと、社会人にとって最も重要な論述能力が劣ることで、苦労している人がたくさんいます。試験に○×式や択一式の出題をする大学は存在しません。大学の試験は論述式が基本です。「○○について述べよ」のテーマに対して起承転結、あるいは序論・本論・結論という形式をとりながら、自分の意見を論述していくのが一般的です。いまだ、マークシート方式や穴埋め方式の試験を取り入れた大学があるという話は、聞いたことがありません。